定義を再認識してモヤモヤが消えた話
現在、大学院生として生きている。
そのため、既に社会人として生活している友人の方が多い。
Twitterなどでも、仕事の愚痴などをよくみかけるようになった。
先日、今の職場のやばさについてつぶやいている友人がいた。
そこまで仲が良い間柄ではなかったので、どんな仕事をしているのかまでは知らなかった。
そこで、どんな仕事なのか尋ねるリプライを送った。
それに対して返ってきたリプライは、
「○○(業種)」
だった。
びっくりした。
なぜなら、私にとっては、質問に対して述語もなにもなく単語だけで回答するというのは、よっぽど気心知れた仲の友人か家族か、くらいの親密な関係性においてのみ発動するイベントであったから。
あるいは、逆にお互いに顔も知らないような、まったく遠い関係性であればありうること、くらいに思っていた。
何故、そのどちらでもない関係性の、微妙な距離感の友人(もはや知人というべきか?)にそのように回答されなければならないのかと、少しもやっとした。
びっくりした。(2回目)
何にびっくりしたって、上記のこともそうだけれど、それにびっくりして、もやっとしている自分に、もっとびっくりした。
「え、返事がそっけなかっただけじゃん。」
その通りである。そうでしかない。
でも、なんかもやっとした。
ふと、「返事」の定義を満たしていないからもやっとしたのではないか?
と思った。
そこで、「返事」を辞書で調べてみた。
この時代に「返事」を辞書で引くなんて知能の高いゴリラくらいではないだろうか。
日本国語大辞典には、以下のようにあった。
(1)ことばを返すこと。また、返すことば。
(イ)もらった手紙や和歌、また、質問、問合わせなどに対して、答えて返す手紙、和歌、文書など。かえりごと。かえり。かえし。
(ロ)呼びかけられて相手に応じ返すことば。応答語。
(ハ)諾否を答えること。承知か不承知かを言いやること。
(2)贈り物の返礼。返礼の品。おかえし。
(3)遊里で、客から呼ばれること。お座敷がかかること。
要は、「ことばを返してれば、それは返事」ということだった。
では、友人のあれも立派な「返事」であり、私の問いに対してしっかりと返してくれていたということか、ありがたい。
ありがたい…?
びっくりした。(3回目)
定義を調べたら、モヤモヤが仕事を辞め、感謝が参入してきた。
まさかの展開だった。
「定義」の新たなアイデンティティを一つ見つけた。