鍵をかける行為と腕時計をつける行為をセットにするとよい
一人暮らしあるあるの一つに、
「ちゃんと鍵をかけて出てきたか急に不安になる」
があるとおもう.
わたしも、一人暮らしに慣れてきたころに2,3度その経験がある.
案の定かけ忘れていたことも1度あった.
それから、鍵をかけるという行為をしてから、腕時計をつけることにした.
外にでる時はたいてい腕時計をつけていくので、その行為のトリガーに鍵をかけるという行為を設定したのだ.
これをすると、寝ぼけ眼で家を出た朝でも、腕時計がついていれば鍵を閉めた保証になる、というなんとも原始的なライフハックだ.
もちろん、これが習慣化するまではあまり安心材料にならなかったりするが、
2,3週間ほど続けていれば、十分効果があったようにおもう.
めちゃくちゃ急ぎすぎて腕時計自体を忘れるとなんの意味もないけれど.
ただ、これを知り合いに話したら、「頭いいな!」と言われたので、書いておくことにした.
とはいえこの方法も、「鍵 しめ忘れ なくす」とかで検索して、
「なにかの行動を鍵をかけることとセットにするとよい」みたいな記事をみて
やりはじめたのだと記憶している.
もっとも、今は家の鍵に取り付けて
かんたんにスマートロック化できる製品なんかもあるので、
そういった対策のほうが安心だとは思う.
まったく関係ないが、
森永のアイスボックスに炭酸水をいれて飲むとおいしいしなんかたのしい
マスクがデフォになった毎日に、ちょっと利くモノ
毎日毎日、ちょっとでも外に出るとなると、必須となったマスク.
元々花粉症なのと、化粧をするのが究極にめんどくさい時があるので、
常時マスクをすることにそこまで抵抗はありませんでした.
ただ、一つめんどくさい点がありました.
それは、メガネをかけてマスクをしていると、曇る.
いたってシンプルなのですが、意外とストレスがたまる.
私は、普段はコンタクトで過ごすことが多いのですが、
自宅で過ごす時間が多くなったことで、メガネで過ごす時間も増えました.
そんな中気になったのが、このマスクメガネクモラス問題でした.
しかし、解決方法もシンプルなものでした.
それがこれ.
FOG STOPという商品.
メガネの曇り止めは、いろいろな製品がでているとおもいますが、これは拭くタイプ.
スプレータイプよりもかばんの中身を圧迫させないところが気に入っています.
リップクリームと比較しても、こんな感じ.
で、拭くタイプの曇り止めもいろいろありますが、
これのいいところは、ジッパー付きのケースに入っているところ.
よくみるものは、プラスチック包装のものが多く、
使っているうちにくたびれてきて、なんだかテンション下がるんですよね.
あと、やっぱりデザインがシンプルでいいなとおもいました.
とはいえ、左側にはガッツリ文章が入っているので、こんな感じでステッカーを貼ってみました.
お気に入りのネットサーフステッカー(@ki_moi)を貼ったら、
よりいい感じになった気がします.
このFOG STOP、実はフォグストップカンという缶に入ったタイプもありました.
こちらも、すっきりとしたデザインの缶でかわいいです.
肝心の性能も、一度拭いたら1週間くらいは効果が持続しているようにおもいます.
価格は、たしかAmazonで550円くらいで買いました.
これ一枚で50~60回分は拭けるとのことなので、中々コスパもよい方だとおもいます.
日常的にメガネをされていて、このマスクメガネクモラス問題に悩んでいる方に
届けばいいな、と思う情報でした.
寝付けない≠悩み,寝付けない∴(=)悩む(悩み)という話
先日、ついがんばって深夜まで作業してしまってから、どうにも寝付きがわるいです。
寝付けないので、布団のなかで寝付きのわるさについて考えていました。
「寝付きがわるいんだよね」と、他人に口にするのは、個人的には少し憚られます。
ほんとうに少し、めちゃ低いハードルだけれど。
なぜか。「寝付きがわるいんだよね」という字面の意味だけでなく、言外に「私、悩みごとがあるんだよね」というニュアンスが添加されてしまわないかという懸念があるからではないかと。
要するに、寝てない自慢やメンヘラアピールに似た行動と捉えられてしまうのではと、変に勘ぐってしまうというだけの豆腐メンタルあるあるだと思います。
ここまでで、「寝付きがわるい=悩んでいる」という方程式が無意識に自分のなかにあることに気づきます。
そして、他人も同じように思っていると考えている。つまり、この方程式はわりかし普遍的なものであると捉えているんだと思います。
果たしてほんとうに普遍的かはさておき、この
「寝付きがわるい=悩んでいる」
という方程式に疑問をもちました。
なぜか。だって「寝付けないな」と思うまでは悩んでいないんだもの。
「眠れないな~」と思っていると、
「あれ片付けなきゃいけないな」「あれも進めておかなくちゃ」「あれの確認も必要」
とか、目の前の課題がふつふつと湧いてきて、いつの間にやら発展して
「この先どうやって生きていこうかしら」と悩んでいる。ということが圧倒的に多い気がするのです。
と、気づいたら「眠れないからこういう事を考えているだけだな」と、少し楽になり、いつの間にか入眠していました。単純です。
「悩みがあるから寝付けない」のでも、「眠れないのは悩みがあるから」でもなく、
「寝付けないから悩む」し、「寝付けないこと自体がもう悩みだわぼけ」という話。
定義を再認識してモヤモヤが消えた話
現在、大学院生として生きている。
そのため、既に社会人として生活している友人の方が多い。
Twitterなどでも、仕事の愚痴などをよくみかけるようになった。
先日、今の職場のやばさについてつぶやいている友人がいた。
そこまで仲が良い間柄ではなかったので、どんな仕事をしているのかまでは知らなかった。
そこで、どんな仕事なのか尋ねるリプライを送った。
それに対して返ってきたリプライは、
「○○(業種)」
だった。
びっくりした。
なぜなら、私にとっては、質問に対して述語もなにもなく単語だけで回答するというのは、よっぽど気心知れた仲の友人か家族か、くらいの親密な関係性においてのみ発動するイベントであったから。
あるいは、逆にお互いに顔も知らないような、まったく遠い関係性であればありうること、くらいに思っていた。
何故、そのどちらでもない関係性の、微妙な距離感の友人(もはや知人というべきか?)にそのように回答されなければならないのかと、少しもやっとした。
びっくりした。(2回目)
何にびっくりしたって、上記のこともそうだけれど、それにびっくりして、もやっとしている自分に、もっとびっくりした。
「え、返事がそっけなかっただけじゃん。」
その通りである。そうでしかない。
でも、なんかもやっとした。
ふと、「返事」の定義を満たしていないからもやっとしたのではないか?
と思った。
そこで、「返事」を辞書で調べてみた。
この時代に「返事」を辞書で引くなんて知能の高いゴリラくらいではないだろうか。
日本国語大辞典には、以下のようにあった。
(1)ことばを返すこと。また、返すことば。
(イ)もらった手紙や和歌、また、質問、問合わせなどに対して、答えて返す手紙、和歌、文書など。かえりごと。かえり。かえし。
(ロ)呼びかけられて相手に応じ返すことば。応答語。
(ハ)諾否を答えること。承知か不承知かを言いやること。
(2)贈り物の返礼。返礼の品。おかえし。
(3)遊里で、客から呼ばれること。お座敷がかかること。
要は、「ことばを返してれば、それは返事」ということだった。
では、友人のあれも立派な「返事」であり、私の問いに対してしっかりと返してくれていたということか、ありがたい。
ありがたい…?
びっくりした。(3回目)
定義を調べたら、モヤモヤが仕事を辞め、感謝が参入してきた。
まさかの展開だった。
「定義」の新たなアイデンティティを一つ見つけた。
三度目
ブログを開設するのは、これで三度目です。
一度目は、小学校高学年か中学生くらいの時。
二度目は、高校生の時。
一度目のブログは、リア友にその存在を明かすことなく、ひたすら心にうつりゆくよしなしごとを吐き出し続けて、その役目を終えました。
二度目は、今のSNSのような感じで、リア友と読者登録しあったりして楽しんでいました。
このブログの時に友人に言われた「文章がオタクくさい」という一言は、ボディーブローのようにじわじわ効いています。
実際オタクなので、そこまで傷ついてはいませんが。
あれでもなるべくフラットな言葉使いをするようにしていたのだけど…
三度目の今回は、どう使っていくか、そもそも続くのかも、いったい誰がみるのかも謎です。
ひとまず、心にうつりゆくよしなしごとをつらつらと綴りながら、リアルで体験した面白いことを記録していきたいと思います。